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2017年 01月 11日
こうしてみると1977年の寺山修司はパルコとかなりつるんでいたんですね。戦略的に利用していたのか、あるいは場を与えられて嬉々として遊んでいたのか。この「映写技師を撃て」は6月14日〜15日の2日間、パルコと映画実験室人力飛行機舎(寺山の映像部門の制作事務所)の提携公演という形で、やはりPARCO西武劇場で上演されました。
寺山修司は長編映画をそれなりに撮ってます。「書を捨てよ町へ出よう」「田園に死す」「さらば箱舟」というATG制作の3本に、商業映画の「ボクサー」、フランス制作オムニバス映画のうちの一話になった「草迷宮」、日仏合作で作った「上海異人娼館チャイナドール」です。そしてこれとは別に自主制作による短編実験映画を数多く作りました。それらの実験映画をまとめて上映したのが、この「映写技師を撃て」だったのです。 もちろん、AプロBプロとも見に行きました。いくつかの映画は強く印象に残り、その後、あきらかに影響された発想もありました。これらの実験映画は10分程度から長くても30分くらい(「トマトケチャップ皇帝」だけはもっと長いですが)で、とにかくワンアイデアをいかに映像で伝えるかというものだったと思います。そのワンアイデアというのは、例えば「さえぎられた映画」「スクリーンの中に出入りできる映画」「釘を打つ映画」「ドアの映画」「消しゴムで消す映画」などなど。まさにそのものズバリを映像化したものが多いので、CGなどの今の映像技術を知っている目からすると、稚拙に見えるものも多いんですが、当時はまだフィルムの加工が難しかったころ。寺山のアイデアを実際の映像にするだけでも大変だったのではないかと思います。 私は「迷宮譚」というドアの映画が好きです。2人の男がドアを背負って歩き、ところどころでドアを開けると、ドアの向こうには違った景色が広がっている、という繰り返しで、これだけだととても他愛のない話ですが、「どこでもドア」的なありがちな発想が、そのうち、ただドアを開けただけの合成されていない風景が、マグリットの窓の前にカンヴァスを置いて窓の外の景色を描いた絵のように、ドアの向こうのまるで地続きのように見える風景は本当にそうなのか、と疑うようになってくる。そういった逆転が、どの作品にも多かれ少なかれ垣間見えます。 しかし、寺山の実験映画にはもうひとつ、映画全体としての大きな問題定義が表されています。物語から読み取れる個々の発想ではなく、「映画とはプリントし終えるまでが映画の行為であり、そこから先は物件になったわけだが、私は最終的に映像がスクリーンに届くまでが映画の創造行為の連続であると考えるべきだ、と思っていたのである」(寺山による解説)とのこと。 文頭で「西武劇場で上演されました」としたのは、「上映」の誤記ではなく、それがまさに上演であったという点が、寺山実験映画を通底するコンセプトだったからです。例えば「審判」では白い布のスクリーンだと思っていたものが白い板で、映画の中の釘を打つ行為にかぶさるように、スタッフが出てきてスクリーンに釘を打ち付け、さらには劇場のドアの外でも、そのドアを釘で打ち付けている音がする、といったスクリーンから現実へのスライド。また、「蝶服記」では、眼帯をしている主人公のドラマと並行して、映写機からスクリーンの間に障害物が横切ることで映画の一部が見えなくなる、といったさえぎりなど。 これらは実際には結局全部人力でやっていることなので、映画ひとつを上映するのにもとても人出がかかっているし、そのスタッフも含めての映画だということです。 それが最も顕著に表れているのは「ローラ」という作品。スクリーンの中の女優たちが言いたい放題に観客を罵倒するのですが、それに腹を立てた客が客席からスクリーンの前に出て文句を言うと、スクリーンの中に引きずり込まれてしまいます。スクリーンの中でその客は女優たちに弄ばれて最後は服を全部脱がされ、スクリーンから追い出された客は裸で客席に戻ってくる、といったトリッキーな映画です。これはスクリーンが幅広のゴムでできているというところがミソなんですが、たとえ実際に映画の中と外を行き来したところで、映像化されているシーンが変化するわけではないので、本来的な違う世界との相互性を作品にしているわけではありません。寺山もそれを認めた上で、「スクリーンに対する認識を変えるためのもの」と割り切って、まずは驚かせるという発想で作ったようです。 大変なのはこの観客役の俳優さんで、この映画を上演するときには必ず同行しないとならないですし、髪型も変えられない、衣装も毎回同じで、縛りの多い役回りです。当時はできるだけ齟齬が生じないように気を配っていたでしょうが、時間の推移には勝てませんね。ヘンリクさんも年相応の外見になられたでしょうから、スクリーンの中の若い見た目との違いはどうにもなりません。この作品はさすがにお蔵入りでしょうか。 こうして改めて振り返ってみると、当時は疑問を投げかける方法が多面的だったなと思います。たとえ技術的には追いつかなくてもとにかく発想を形にして外に出す。今はだれでもどんなジャンルでも技術的に高度なものを扱うようになりましたが、一方で、枠組みについてはむしろ「枠組みありき」の発想のようにも見えます。枠組みそのものを疑ってみる、という感覚が疲弊していくのは残念ですね。
by asabali
| 2017-01-11 07:33
| 演劇
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