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2017年 08月 15日
阿佐バリと同時進行したツルクサ4は、 結果的に告知などが後手に回り、 集客に大きな問題を残した、残念なドライブになりました。 松重とカリノが同じ演目での2巡目というところに 明確なプラス要因を伝える努力を欠いたのが反省点。 しかし実際には、2巡目ならではの深化の度合いは アピールする価値のあるものでした。 カリノの「パンジ・スミラン」は1回目と比べものにならないくらい 腰の据わったよい踊りになりましたし、 自分のジャウック・マニスもいい踊りになりました。 それはとにかく練習の賜物。 阿佐バリの練習と並行して、 毎日のように時間を作って練習していた中から できあがっていったものだと思います。 そんなドライブ4の中で際立って目をひいたのは 芳野未央さんの「ガンブー・パンジ」と「トペン・ニッコー」。 ガンブーは、物語としての全編が見たくなる背景が感じられ、 たったひとりで「トペン・ニッコー」を踊ってその面白さを伝えるという アグレッシブな姿勢がまさにツルクサドライブといったものを表してくれました。 これらの演目はぜひリベンジしたいですね。 ツルクサドライブ4「聖と俗の森を跨ぐ物語の始まり」の ドライバー一文と当日の写真です。 ●松重貢一郎 今回のツルクサドライブは妄想の物語仕立て。 ……暗闇に潜む魔物の邪気が世界を不穏なものにしていき、 そこかしこで行き違いが生じるようになる。 世界の歪みで引き裂かれたチャンドラキラナ姫とパンジ王子。 意を決したチャンドラキラナ姫はパンジ王子に会いにいくため、 毅然たる男装の騎士パンジ・スミランとなって旅に出る。 しかし、パンジ王子と姫との距離は遠く、 世界は未だ不吉な気配から逃れられない。 ところがダークな世界は戦士の登場で一変。 さらに戦いの後の場を清めるが如く、聖なる踊りが捧げられる。 晴れて明るさを取り戻した世界では 炸裂する歓喜と笑いに包まれる……。 ●カリノ南 サイクルが一周巡り、Drive1と同じ演目を踊る。 そもそも舞台には、一度たりとも同じものが存在しない。 同じことを繰り返す行為は、決してルーティンではなく、 日々変化し、アップデートしていくもの。 それが目に見えるものであっても、そうでなくても。 このACT2からの個人的なテーマは、「限界に挑戦」。 身体も、そして、心持ちも。 疲れて疲れてどうしようもなくなって身体も頭も空っぽになったとき、 これまでとは違う何かがまた見えるような気がしている。 そのためにも、この、とても言うことを聞かない身体と向き合っていく。 身体を縛る思考の鎖を一旦取り払って、 身一つで踊ることの意味を、もう一度探っていきたい。 ●芳野未央 『自由の鐘』 雨があがり、ぼんやりした薄日が、ジュプンを金の海綿のように柔らかく輝かせ、その花がこの世の全てに光を与えている。影の鋭さはなく包み込む光の雲の中。静かな湯気のように満ちる光。 籠の中の鳥、にわとり、ひよこの声が、ゆるやかに空間を満たす。 風も止み、雨に打たれて跳ねていたブーゲンビリアの細枝もひたと動きを止め、金の湯気の中でまどろみを期待しながら、しかし、水滴のついたツツジ色の咢花は目の覚めるほど鮮やかに光を受け止めている。 鳥の声が、世界を球形に膨らませる。球面からの遠い響きとなって、声は光の霧を包み、通過し、そこからさらにどこかへと発してゆく。 重なり合い、すれ違い、交差し、交わらず、純粋な声。 籠の中にいる鳥の、声だけが完全な自由を持っている。 つらぬき覚まし、影の鋭さを産む太陽は亡い。 紫色の蘭が小さく咲いている。橙色のブーゲンビリアにも水滴がとどまり、金光がゆるやかに包む。目に見えるものはみな、金光の微粒子の静かな充満に優しく囚われて動くことができない。 空に向けられた猫の瞳だけが、瞳孔を細く絞る。 光の中を自由に行き来するのは、鳥たちの声だけだ。 波紋のように、矢のように、距離を持った響き。 世界である光球を包み、そこから発し、同時につらぬき、同時に満たし、 とおく とおく ひびく。
by asabali
| 2017-08-15 05:51
| 公演
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