link
カテゴリ
以前の記事
2022年 08月 2022年 07月 2022年 03月 2021年 12月 2021年 07月 2021年 03月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 05月 2020年 03月 2020年 02月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 03月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2011年 12月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 最新のトラックバック
検索
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 11月 07日
バリ舞踊のことばかりで、2017年1月16日のブログで書いた「状況劇場を見る」以降、かつての演劇についての話はまったく出なくなってしまいましたね。う〜ん、リアルタイムのバリ舞踊はその時その時であれこれあるのですが、過去の話は一度その空間を離れてしまうとなかなか戻れません。 でも、ひとつ言いたかった話が途中だったのを思い出して、続きをひとつ。 それはこんな話でしたね。 ・・・・・・ あと、状況劇場のことでいうと、それこそ1960〜70年代の状況劇場の役者で天竺五郎という人がいて、あるときにその人が私の人生を左右し、また、誰も意図していなかった不思議な未来をつなげることになる役割を担ったという話は、また次の機会に。 ・・・・・・ この話。 私は天竺五郎さんが状況劇場で役者をやっていた時のことは知りません。天竺五郎さんに特別な関心があったわけでもありません。 それなのに、なぜか縁の深い……。 最初に主宰した劇団「実験室 人形書簡」の結果的に最終公演になった舞台を、1983年に中野のテルプシコールでやったのですが、それがどうにもこうにも……(苦笑)。ハタチ前後からの勢いだけでやってきた集団の視点はどうにも定まらず、結果的に私だけが先鋭的になってしまってメンバーとずれてしまいました。そんなわけで、解散を前提とした舞台に共有するものは少なく、残念な舞台になってしまったのですが、ただ私としては、このテルプシコールという場で起こったことが、ここから始まる未来を決定づけたわけです。 本番前日(作り込むような舞台ではなかったので)に舞台や照明をセットして、ゲネまでという段取りで準備をしていたのですが、仕込みの最中に、あきらかに現実と虚構二股をかけて生きている風貌のおじさんが現われ、準備の様子を見ていたり、何かを言ったり、勝手にリハとかも見てたりして、そういう人に慣れていないメンバーはかなり引いていました。 でも私は「この人いいな」と思ったんです。 仕込みの最中にどこかからバンセンを持ってきてくれたり、個人的に演技のアドバイスもしてくれました。 話をしているなかで、私、ちょっとなつきましたかね(笑)。 ただ、この時点ではこの不思議なおじさんが誰だかはわかっていません。 でも、その後も話をして、「え〜! あの状況劇場の天竺五郎さんなんだ!」ってわかった時の衝撃といったら! それで、もっと話を聞いてもらいたくて、芝居の打ち上げの席に呼んでしまいました。正直、劇団解散前提の打ち上げなのに、この勝手な振る舞いは他のメンバー的には無茶苦茶感じ悪かったですね。今更ですがごめんなさい。 そこで、「身体をもっと使った表現をしたい」という話を聞いてもらって、天竺さんが「それなら、この男を連れてきてもいいか」と連絡を取ってくれ、 私の前に現れたのが、大駱駝艦の初代メンバーでもある、ダンス・ラブ・マシーンの田村哲郎さんでした。 そして、ここを起点に私の演劇から舞踏への第一次スライドと、相成ったのです。 ちなみに天竺五郎さんの話には後日談がありまして、 私が踊りや演劇をやり続けながらも、それでは食っていけないので、 いろいろな原稿書きをやっていました。 そんな中で仕事をいただいた ウエディングのムックを作っていた編集プロダクションの社長が なんと! 天竺五郎さんのお兄さんだったんです! もうビックリすぎて、泣き笑いのような心持ちでしたよ!
by asabali
| 2018-11-07 22:57
| 演劇
|
ファン申請 |
||